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週刊野球太郎コラム

チームの強さは人にあり。大阪桐蔭・西谷監督と日大三・小倉監督の人間力/高校野球名物監督列伝

2019年12月25日 00:00配信

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 高校野球の主役はもちろん球児。

 だが、彼らをまとめ上げる監督のことを知ると高校野球はもっと面白くなる。

 高校野球監督とは甲子園に人生を捧げ、数奇な運命を生きる男たち。己のチームを作り上げ、地元のライバル校としのぎを削り、聖地を目指して戦い続ける。

 今回は大阪桐蔭の西谷浩一監督と、日大三の小倉全由監督が登場!

(以下、文中、敬称略)

■西谷浩一(大阪桐蔭)

 1998年の監督就任以来、中村剛也(西武)、中田翔(日本ハム)、藤浪晋太郎(阪神)ら、プロ野球界の数多のスターを輩出し、「21世紀最強チーム・大阪桐蔭」というブランドを築き上げた西谷浩一。

 圧倒的な戦績で平成になってからの甲子園の頂点に立つ西谷。全国から集まる甲子園スター候補をまとめ上げ、戦う集団を作る指揮官だが、類稀なる指導力の背景には、どんなバックボーンがあったのだろうか。

◎怪物を生む西谷版「虎の穴」のバックボーン

 高校時代の西谷は報徳学園でプレーするも甲子園出場はなし。卒業後は関西大に進むも、控え捕手。4年時にはブルペン捕手ながら主将を務め、部員100人を超える大所帯のチームをまとめ上げた。

 西谷自身、関西大のキャプテン時代に得たものは大きいと語る。関西大時代の西谷がまとめるチームは選手が自主的にミーティングを行い、トレーニングメニューを決めていた。ミーティングに参加する選手やスタッフは皆、ベンチに入れなくてもチームへの深い愛情を持ち、サボる選手はいなかった。

 西谷はそのなかから「組織は人。皆がチーム作りに参加したら強い集団になれる」ことを知ったという。

 その経験があったが故に、大阪桐蔭では「監督がガミガミ押し付けるスタイル」でなく、選手が意見を言いやすいチームへと舵を切った。

 ただ、「押し付けない=自由」というわけではなく、選手に対しては1人ひとりの個性を見極めてアドバイスを送り、ときには個性を「武器」としてそのままにしておくこともある。

 結果、スターたちは3年間の高校野球生活で、自分だけの武器を身に着けたハイレベルな選手へと進化を遂げていくのだ。

 また、大阪桐蔭では控えの選手が腐ることなく、率先してチームをサポートすることでも知られている。ベンチ外の3年生も対戦相手の情報収集に精を出し、貢献する。

 サポートに徹する彼らの力は西谷が感心するほどで、もちろんレギュラーメンバーもその姿を見れば、いい加減なことはできない。

 ここにも関西大時代につかんだ「組織は人。みんながチーム作りに参加したら強い集団になれる」という思いが貫かれている。

◎驚くべきマメさ

 西谷といえば、お腹が突き出た見た目と裏腹に、フットワークがとても軽いのも高校野球ファンの間では有名だ。

 例えば2012年に行われた岐阜国体では、監督を務めた国体チームの練習後に、秋の大阪府大会を戦う新チームの練習を見るため大阪に戻り、その日のうちに岐阜にとんぼ返りしたこともある。

 このマメさは、なかなかマネできない。そんなところも「21世紀最強チーム」を作り上げる秘訣かもしれない。

■小倉全由(日大三)

 日大三から日本大を経て、1981年に関東一の監督に就任した小倉全由。1987年のセンバツで準優勝に輝くなど、早くからその手腕を発揮してきた。

 1997年から母校・日大三の監督になると、2001年の夏の甲子園で、当時の甲子園歴代最高記録となるチーム打率.427の強力打線で対戦相手を次々と圧倒し、初優勝。

 2011年夏には、全試合2ケタ安打の新記録を打ち立てながら2度目の全国制覇。「強打」を武器に「東の横綱・日大三」を作り上げた。

◎選手にとって父親以上の存在

 また、小倉は情が深く、人望の厚さでも高校野球界トップクラス。

 2011年に夏の甲子園で優勝したときのインタビューで、主将の畔上翔が「監督を甲子園で胴上げしたいと思って戦ってきた」とコメント。選手たちから慕われぶりがうかがえる。

 小倉は、一緒に寮の風呂に入って裸のつき合いをするなど、積極的に選手とコミュニケーションをとっている。当世の若者気質からすると「ウザい」などと思われそうだが、そういった話は聞かない。毎年、伝わってくるのは「監督を日本一の男にする」という選手の気概だ。

 厳しく、優しく絶妙な距離感で接する。選手のことを愛し、自分から動く。だからこそ、選手から惚れられるのだろう。

◎選手との上手な付き合い方

 今回は西と東の名将にクローズアップした。

 監督には経験が問われがちなため、「若さ」がネックになることも多い。しかし、西谷監督も小倉監督も当然苦労は積んだのだろうが、表舞台に出てからは結果を出すのにさほど時間はかからなかった。

 エネルギッシュに、選手たちとともに戦うという姿勢で、全国にその名を轟かせてきた。年齢は干支がひと回りするほど離れているが、それが共通するところだ。

 いつか「新たな監督像」を作る人物が現れるだろうが、この2人は高校野球史におけるエポックメイキングな監督として語り継がれるだろう。

(本稿の西谷浩一監督の章は、本誌『野球太郎NO.010 高校野球監督名鑑編』に掲載された特集「西谷浩一「21世紀最強チーム」ができるまで」(取材・文=谷上史朗)を参照、引用しています。本誌の特集記事もぜひご覧ください)

文=森田真悟(もりた・しんご)

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