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週刊野球太郎コラム

米澤貴光(関東一)と関口清治(盛岡大付)。先人の教えに心を開き生まれ変わる/高校野球名監督列伝

2020年2月12日 00:00配信

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 高校野球監督とは甲子園に人生を捧げ、数奇な運命を生きる男たち。己のチームを作り上げ、地元のライバル校としのぎを削り、聖地を目指して戦い続ける。

 今回は関東一の米澤貴光監督と盛岡大付の関口清治監督を紹介したい。

(以下、文中一部敬称略)

■米澤貴光(関東一)

 米澤貴光は関東一から中央大、シダックスでプレーし、2000年に母校・関東一の監督に就任。2008年のセンバツを皮切りに春夏通算で7度甲子園に出場するなど、甲子園から遠ざかっていた関東一を復活させた。

 オコエ瑠偉(楽天)らプロ野球選手も輩出するなど、「今、波がきている」監督の1人である。

◎強豪校再生のヒントはレジェンド監督の言葉

 1980年代後半から1990年代前半。小倉全由監督(現・日大三監督)時代の関東一は甲子園に4回出場し、1987年のセンバツでは準優勝。強豪校の地位を固めつつあった。

 しかし、小倉の退任とともに低迷期に入り、甲子園から遠ざかっていく。そんな逆風のなかで指揮を振るうことになったのが米澤だ。

 就任当初、「ベンチに入るだけで満足」という選手たちに、米澤はどうやったらやる気を出させられるかと考え抜く。そして、智辯和歌山の名将・高嶋仁の「なぜその練習をするのか。監督の気持ちを伝えれば、選手は必ずついてくる」という監督哲学を参考に選手たちを指導していく。

 すると結果が出始め、2008年のセンバツで14年ぶりにチームを甲子園に導くと、2017年のセンバツまでに7回出場。2012年のセンバツでベスト4、2015年の夏の甲子園でベスト4と、新時代の強豪・関東一を築き上げた。

◎ライバル校を敬う人柄

 先人の教えを大切にして、母校を復活させた米澤。保護者からの信頼も厚いが、その人柄を表すエピソードがある。

 2016年夏の東東京大会。関東一は決勝で東亜学園を下し、甲子園出場を決めた。試合後のインタビューで、米澤監督は同じ夏を戦ったライバル校の選手にこんな言葉を送った。

「これまでは二松学舎の大江竜聖選手(巨人)が東京の野球を引っ張ってきてくれました。彼の準決勝の投球も目に焼きついていますし、東亜学園の選手の気持ちも胸にしまって甲子園で戦ってきます」

 このリスペクトに溢れた言葉はTwitterなどのSNSで拡散され、たくさんの人々から喝采が寄せられた。

 甲子園では1回戦で、後に日本ハムからドラフト1位指名される好投手・堀瑞輝(日本ハム)を擁する広島新庄に延長12回、1対2で惜敗。しかし、米澤のこの言葉もあって、筆者はとても清々しい気持ちでこの戦いを見ることができた。

 2017年2月。9月に行われるU-18ワールドカップに出場する高校日本代表チームのコーチに米澤が就任することが発表された。チームの垣根を超えた選手の育成にも期待したい。


■関口清治(盛岡大付)

 盛岡大付OBの関口清治は、同校の部長、コーチを経て2008年秋に監督に就任。甲子園には春夏それぞれ3回出場。

 2014年夏は初戦で優勝候補の東海大相模を撃破。2016年夏は打たれても打ち返す自慢の「わんこそば打線」を武器に3回戦進出。創志学園の154キロ右腕・高田萌生(現・巨人)を打ち崩すなど鮮烈な印象を残した。また、2017年のセンバツでは初のベスト8進出を果たした。

 岩手では強豪ながら甲子園でなかなか勝ち星を挙げられなかった盛岡大付を躍進させた立役者だ。


◎雪国のハンデが生んだ「わんこそば打線」

 近年の甲子園での盛岡大付といえば乱打戦のイメージ。やられたらやり返す強力打線は、「守備を鍛えて甲子園に行っても返り討ちに合う。打ち勝たねばならない」という苦い経験をきっかけに生まれた。

 また、雪国の岩手では冬場に細かい守備練習ができない。そのハンデを逆手に取り、冬場は打撃強化と割り切ったことも強力打線を育んだ一因だったという。

 強力打線を目指す過程で、2011年秋には「強打の光星(八戸学院光星、当時光星学院)」を作り上げた東北福祉大の先輩・金沢成奉監督(現・秀明学園日立監督)を招いて打撃理論を学び、「5点を取る野球」を目指した。

 その成果はすぐに現れる。2012年夏の岩手大会決勝、ライバル・花巻東のエース・大谷翔平(日本ハム)を攻略し5対3で勝利。打ち勝つスタイルが早くも実を結んだ瞬間だった。

 その後、磨き上げた打線は、2016年夏の甲子園では2勝を挙げ、3試合で計28得点を叩き出すまでに成長。「わんこそば打線」と命名され、チームの象徴となった。


◎秘めたる自信を匂わせる「胴上げ拒否事件」

 関口は年々力強さを増す「わんこそば打線」に手応えを感じている。

 というのも、2017年のセンバツ出場が決まったとき、「(甲子園出場が)ゴールになってしまうから」と歓喜の胴上げを拒否したからだ。

 「甲子園で優勝するまでとっておく」という強い気持ちがプラスに働けば、東北に初の優勝旗を持ち帰ることも夢ではないはず。

 これまで東北勢は三沢、磐城、仙台育英、東北、花巻東、光星学院(現八戸学院光星)が決勝で敗れ続けてきた。関口が聖地で大優勝旗をつかむ姿を見てみたい。そう思わせる監督だ。


◎スクラップ&ビルドでチームが大成

 高校野球は勝負を通じての人間形成という側面もあるが、監督にしても、選手にしても、目指しているのは勝利。そのためのアプローチは様々だが、先人の教えを取り入れることは近道の一つだ。

 米澤監督は精神的な部分を、関口監督は技術的な部分を取り入れてチームを強化。うまく事が運ぶことは稀かもしれないが、心を開いてトライするのは大事だとあらためて思わされた。

 特に関口監督はそれまでのやり方でも「岩手を勝ち抜く」という結果は出せていただけに、現状を壊すのは勇気が必要だったはず。しかし、変化を恐れずに「打ち勝つ野球」を実践したことで、甲子園優勝を狙うチームに変わった。

 目標が高くなった分、再び壁に当たる日もくるだろう。2人がどのように乗り越えるのか、それすら楽しみでならない。


文=森田真悟(もりた・しんご)

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